ベトナム進出ストーリーPROLOGUE

ベトナム進出のキッカケ

“ お金が貯まってから家を買う…では、(僕のような凡人中の凡人には)家は一生買えない。”

弊社では、発表から10年、今や全国約1,000カ所にて、1年間の延べ受講者65万人超えの弊社オリジナル健康メソッド「KaQiLaメソッド」を持っているのですが、 この「KaQiLaメソッド」を発表する際に、 KaQiLaメソッド考案者の健康アーティスト・健康体操研究家の己抄呼〜misako〜と、

「近い将来、このKaQiLaメソッドを必ず世界に展開しよう!」

と誓い合って、このKaQiLaを発表・始動したんです。
KaQiLaメソッド公式サイト は コチラ 〉

それは、会社や個人の権威や保有資格や会社規模が最も重要な日本より、会社規模より資格の有無より、中身をストレートに評価される海外の方が己抄呼〜misako〜や弊社にも大きなチャンスがある!との確信からの思いでした。

ただ、そうは言っても、会社規模も小さく、僕と己抄呼〜misako〜が “商品” として、全国を奔走することで会社経営や運営をなんとか維持している状況では、 当たり前ですが、経済的にも時間的にも、いきなり海外へ打って出るわけも行かず、

「まずは、日本国内でそこそこの成功を収めて、(時間的、経済的、精神的など)ある程度の余裕ができてから、海外へ行こう!」 と決めたのです。

でも、先述の通り、弊社の会社の規模も小さく、「医者」でも「大学教授」でもない己抄呼〜misako〜が、どんなに深く、すごいと思えるものを発表しても、 当初は、マスコミ、専門機関では、ほとんど相手にしてもらえず、それでも、己抄呼〜Misalo〜の指導、KaQiLaメソッドの受講者の人たちの感動レベルの支持を支えに地道にコツコツと広げてゆくしかなく、気がついたら、7年ほどの月日が経ってしまっていたのです。

日々の毎日の中で、いつのまにか、どこか “守りに入りはじめてた” 自分

そんなある日、己抄呼〜misako〜が、
「そろそろ、海外へ出て行かないと、私、おばあちゃんになってしまう…」 と。
(己抄呼〜Misalo〜は見た目はとても若いのですが、当時、もう58歳になっていたのです)

そ!?  そうやんな…!?
そうやったな…!

その己抄呼〜misako〜の言葉で、

日々、目の前のことに追われ、 いつのまにか、どこか “守りに入りはじめてた” 自分に気付かされたんです!

私は、小さいことから大きいことまで、いつもいつも自分でも抱え切れないほどのたくさんの夢をいっぱい描いていて、 それらを絶対実現させるんや! と挑戦(カッコいい!)することが、能力も何もない自分の唯一の良さ(命綱)のはずだったのに…!

だから、口癖のように、いつも自分にも己抄呼〜misako〜にも言ってた言葉。

お金が貯まってから家を買う…では、俺のような凡人中の凡人には、 家は一生買えない。
 だからこそ、無理してでも買ってから、そこからどうするか考えるんや!” 

そんな僕が、目の前のことに必死になっていて、ついつい自分でも気づかない間に、守りに入っていたんですね…。

また、そう気づいた直後、 私の非常に近しい、病気一つしなかった健康優良児だった人が、命に関わる重篤な病気になっていたことがわかったのです。

これも、若い頃、仲の良い友達や先輩の複数の人たちの突然の死を目の前で関わってきて、

「俺もいつ死ぬか、ほんとにわからない。 だから、夢ややりたいことの先延ばしは絶対にダメや!」
「いつか…、そのうち…なんて、どうなるかわからない。だから今やる!」

と、いつも自分に言い聞かせて、生きてきたのに…。

「よし! 海外に出よう!」
「まずは、成果を出せなくても、 何がなんでも〈2年間〉は、絶対に行き続ける!」

その翌日から、「KaQiLaメソッド」の海外進出に向けての検討を始めましたが、
そこで一番最初に決めたのは、

「まずは、成果を出せなくても、何がなんでも〈2年間〉は、絶対に行き続けることを絶対条件にしよう!」

ということでした。

私の知る、私の尊敬する経営者の中でも、自他共に「大きな成功を収めた」方は、
「どうして成功したのか?」の問いに対して、皆、異口同音に仰っています。

「(どんなに壁にぶつかっても)やめなかったから」

“何があってもやめないで続けること”

これは、今の僕にも、どんな小さな新規商品やサービスの取り扱いから、事業レベルのものまで、何かをやるさいの絶対的な必須条件になっています。
だから、続ける!ためにはどうするか? 続けるのが難しいと判断したものは、絶対に手を出さない。

自分なりには、万一、KaQiLaとしての成功ができていなくとも、
2年後には、必ず、大きな何かが残る…との絶対的な確信もあったからです。

では、2年間行き続けることのできる国はどこだろう?

進出国の選定と決定

そこから、

「どんなに大変でも2年間は行き(挑戦)し続けること」を決め、
それができる国は? 環境は? 戦略・戦術は?

を一生懸命に考えました。

結果、
・往復交通費、宿泊等のコスト
・移動にかかる絶対的な時間コスト
・文化や国民性
・万一、KaQiLaメソッドの成功がダメでも、その他の要因で、ビジネスの可能性を秘めている
・僕自身が大好きになれそうな場所・人

などの要因から、

「アセアン」…  そして、その中でも「ベトナム」と決めたのです。

可能性No,1の国(と僕が感じた)「ベトナム」へ

Description: 地図, テキスト が含まれている画像  自動的に生成された説明

アセアンは、

の10カ国から成り立ちますが、

アセアンに進出をしている人に話を聞きに行き、
アセアンへの進出支援をしている会社へ行き、
アセアン関連セミナーにも手当たり次第、参加し、
もちろん、JETROや中小企業庁にも足を運びました。
その結果、以下の理由から、第一番目の進出先を「ベトナム」と決定したのです。

ベトナムって、どんな国?

北部の首都で経済・工業の中心といわれるハノイ市と、 観光産業が盛んな南部ホーチミン市の2都市に人口が集中しています。

ベトナムの持つ大きな可能性

◆日本の7倍以上の経済成長率
◆世界的コンサルティングファームが試算した世界No,1の「1人当たりGDP成長率」
◆適正なインフラ経済により、国民全体の所得が向上し、 国民の消費意欲も非常に高い
◆非常に勤勉で純粋な人柄の国民性
◆偏った、強固な宗教がない
◆治安に不安が少ない
◆親日国である
◆食べ物や考え方など、日本に非常に近い部分が多い。

ベトナムは、「社会主義国」とはいえ、ドイモイ政策により、 民主主義経済構造の社会主義国と言えるレベルの非常に高い経済成長を続けています。

この成長は、世界的最大のコンサルティングファーム「PwC」の試算によると、2050年までは、ベトナムとインドは、「1人当たりGDPにおける成長率」は、世界の中でもでダントツで成長を続けると発表しているほどで、これからまだまだ大いなるビジネスチャンスの可能性溢れる国であることは間違いないと言えます。